お世話になっていた歌手の木村恭子さんが亡くなられました。
本日プレストーンの近藤社長と一緒に最後のお別れのご挨拶をしてきました。




キョーコさん(いつもこう呼ばせて頂いてたので)は僕を育ててくれた恩師です。
初めて御会いしたのは20年近く前になるでしょうか、
大阪で見習いをしてた時にCMのお仕事で出会いました。
その当時既にキョーコさんは圧倒的な存在感の歌手として関西音楽界では大御所格のお立場で、

「今日の録音には木村恭子さんが来られるぞ」

っていう日はスタジオの空気がちょっと違ったような記憶があります。
僕のようなペーペーの青二才は同座することなんてもってのほかで
「50mほど先の斜め下からやっとお姿を仰ぎ見る」
ことが許されるかどうかっていうくらいの文字通りまさに上下関係だったのですが、
何かのお仕事で現場アレンジ作業のお手伝いをさせてもらった時に顔と名前を覚えて頂き、
以来プレゼンやデモでキョーコさんの担当曲のアレンジャーとして使って頂けるようになりました。

お仕事ではキョーコさんはシンガーソングライターとして詞・曲・歌唱を担当され、
僕はアレンジから先の録音完了!までを任されるようになりました。
CMの仕事は企画の変更や修正が日常茶飯事なので、
臨機応変同時進行で対応出来るようにと初期段階の打ち合わせから同席を許されました。
そこで企画の骨子を共有しておいて、
まずキョーコさんがCM音楽の大枠をイメージして作曲をされ、
その後引き継いで僕がアレンジを施し最後にキョーコさんが歌をレコーディングするのです。
これがとてもいい経験になり何より一番勉強になりました。

アレンジャーとしてお声掛けして頂ける事がとても嬉しくて、
非力ながらも僕なりに色々工夫したりして一生懸命お手伝いを頑張っていたら
「あっさくぅ〜ん、たすかったよぉ〜ん」
とホメてもらえるようになりました。
それが嬉しくて「よし、次もっと頑張ろう!!!」と励みになりました。


そんなキョーコさんが突然お亡くなりになりました。
不謹慎を承知で申し上げますが僕は人の死や葬式は嫌いです。

お世話になりっ放しだったのにちゃんとお礼を言えていません。
アドバイスを頂いたり叱ってもらう事ももう出来ません。
仕事がバッチリ決まって嬉しかった時やお酒をご一緒させて頂いた時のことなど、
楽しい思い出も勿論いっぱいありますが、
そんないろ〜んなお話をご本人と交わすことはもうありません。

・・・キョーコさんはただ安らかに眠っていらっしゃるのみでした。
感謝の気持ちが届いてたのかどうか確認する術はもうなく、
残された者としてはそれがとても心残りです。
気持ちを伝えたいのにそれが叶わず悔しいです。
一人で旅立たれてズルいと思います。
本当に辛く悲しいです。
・・・だから人の死は嫌いなんです。


しかし残していかれたものもあります。
キョーコさんからは沢山の事を教わりました。

「人前で音楽を披露するという事はどういうことか」
「お客さんは何を望んでいるのか」
「歌手は何をすべきか」
「アレンジャーはどう考えるべきか」
「どうやって楽しく仕事をするか」

もっとあります。
「譜面はちゃんと書け」
とか
「時間守れ」
とかも。

・・・いや、これは普通にダメですかね。


キョーコさんとのお付き合いで印象にあるのは、
キョーコさんのボーカルや書かれたメロディの素晴らしさは当然のことながら、
優しく朗らかなお人柄でいつも場を和まされて、
その場の皆が常に心地よく笑顔でいれた事です。
ペース配分・抜き所と差し所・合間の雑談にも妙があって...etc。
ただ音楽のことばかりでなく関わる全ての人に心配りをされていました。
それもこれも引っ括めてプロデュースという事なのかもな、
と今になって思ったりします。

・・・簡単に言葉に出来るもんじゃないですね。
難しいですけど確かに僕の心の中には「キョーコ印」の何かがあるような気がするのです。

この「何か」を大切にして、
キョーコさんにあやかって多くの人に喜んで頂けるような音楽家になるべく頑張らねばな、
と思いました。

気持ちの整理には少し時間が必要かも知れませんが・・・。