先日提起した問題についての考察その1です。
ついに来ましたね〜!
あーこわ。
ついに来ましたね〜!
あーこわ。
「学ぶ」
の語源は
「真似ぶ」
だと聞いた事があります。
師匠と同じ事を実際にやってみて、
学問や芸事の真髄を自得するという所でしょうか。
CMソング制作の依頼を受ける時、いきなり
「先生の感性でいっちょお願いしもんす」
とオーダーされることは殆ど無くて、
必ずモチーフとなる楽曲があります。
超細かく「この曲の○○秒目から先のリズムの感じ〜」とかって指示も当然あります。
あまりにも指示が具体的過ぎると変えようが無くて困ったりもしますが、
ソレはソレ、無理矢理「似て非なるもの」を作る事になります。
度が過ぎてしまって
「麻くんヤバいでそれは」
「マジですか!?やり過ぎましたか!?!?」
てな感じで急いで手直しする事も多々あったりなんかして、
仕事は仕事として楽しくやっとります。
ですが心情的には後ろめたい物も当然あります。
「あぁ、また悪魔に魂売り渡してしもた・・・」
と落ち込む気分になる事も、5年に1回くらいはあります。
(っていうかそんなモン。ヘヘン/笑)
あぁ、そうそう。
なんで5年に1回くらいしかヘコまないのかと言うと、
パクリ(書いてもーた)の度合いが強い依頼の場合、
額面通りに受け止めても自分が楽しくないので、
「じゃあもっと悪ノリしたれ!」
って開き直るんです。
そうすっとね、
キッツい内容の仕事でも
「あああ!楽しかったぁあああ!!!」
って思えるんです(笑。
なんかヤケクソみたいですね。
いやいや、真面目な話。
CM仕事の場合は要するに広告の一部ですから、
テレビ見た人に楽しんでもらったりクライアントさんに喜んでもらう事が第一だと思ってます。
音楽作るためにCMがあるんじゃなくて、
宣伝・広告の一要素として音楽が使われてるという事ですからね。
何ヶ月もかけてリサーチや企画会議を重ねて、
プレゼン勝ち抜いてようやくオンエアな訳です。
スポンサーさんも莫大な広告費を捻出して勝負してるハズ。
(あれ・・・僕のギャラ・・・/涙)
ですのでパクリと言わずあくまで究極のパロディである、
と捉えているんですけど、
たま〜に後ろ向きなオーダーも実際ありましてね、
「流行っているCMを真似たCM」
みたいな案件の時、
泣きそうになります(笑。
・・・いいんだろうか、こんな事書いて?
あのね、
ちょっと前に美術館に行った時スゲーなと思ったんですが、
現代美術家ってものすご堂々と他人の作品をパクるんです。
「○○の○○へのオマージュ」
みたいなタイトル付けて。
マルセルデュシャンの作品をジョンケージくらい著名な人が思いっきりイジっとるんですよ。
実際に見たらインパクトありました。
「うっほほ〜い、ホンマにやっとんねんなぁ」
みたいな感じ。
そういや日本人では森村泰昌とか模倣を通り越してるなぁ。
あの世界は垣根を超えて表現を共有する事に寛容なんでしょうね、きっと。
先人が蒔いた種を開花させましたみたいな清々しい作品を見た時は、
単純に一個のアート作品として鑑賞される使命を果たすに留まらず、
未来に続く潮流のようなものを感じ取って感動したりもしました。
逆に中途半端な解釈で模倣してる人の作品も展示されてましたけどね。
おぉ、ちょっと見えてきたぞ。
やっぱりパクリ行為が容認されてる社会って、
どこかで甘えみたいなモンがあると思います。
だって予定調和でないと通用せんもん。
かくかくしかじかといわくつきでオタワムレ。
だからね、
「パクッてます!」
「パクリました!」
って堂々と宣言すべきですよね。
それなら許せる。
なんとなく。
色々調べてたら模写についてこんな記事を見つけました。
模倣そのものは表現の向上にもつながる前向きな行為なのでしょう。
どんなミュージシャンも他人のカッコいいソロとかコード進行を耳にしたら
「あっ、クソ!」
って思って一度は自分で試してみたりするし。
けれども随分と贔屓目に見ても、模倣は修練の一過程に過ぎないと言えるのではなかろーか。
表現の最終形態にはなり得ないよ、とね。
最後に。
パクリ云々、
是非を問うならば非だと思います。
人の作品を「僕がやりましてん」て吹聴したりした日にゃ、
ペナルティも喰らいますし
「アイツやりおった」
って回りから意地悪もされます。
(そんなんじゃ済まへんか。盗作はダメダメよ!)
この稼業にわりと身近について回る問題でして、
よい機会なので考察を述べてみました。
また違う観点からも考えてみたいと思います。
いつかパクられる側にならなアカンなと心するアサでした。
・・・ブハァッ!
奈落の底に落ち込んで溺れ死ぬ所でした・・・。
口がパクパク。
ガンバロ。
の語源は
「真似ぶ」
だと聞いた事があります。
師匠と同じ事を実際にやってみて、
学問や芸事の真髄を自得するという所でしょうか。
CMソング制作の依頼を受ける時、いきなり
「先生の感性でいっちょお願いしもんす」
とオーダーされることは殆ど無くて、
必ずモチーフとなる楽曲があります。
超細かく「この曲の○○秒目から先のリズムの感じ〜」とかって指示も当然あります。
あまりにも指示が具体的過ぎると変えようが無くて困ったりもしますが、
ソレはソレ、無理矢理「似て非なるもの」を作る事になります。
度が過ぎてしまって
「麻くんヤバいでそれは」
「マジですか!?やり過ぎましたか!?!?」
てな感じで急いで手直しする事も多々あったりなんかして、
仕事は仕事として楽しくやっとります。
ですが心情的には後ろめたい物も当然あります。
「あぁ、また悪魔に魂売り渡してしもた・・・」
と落ち込む気分になる事も、5年に1回くらいはあります。
(っていうかそんなモン。ヘヘン/笑)
あぁ、そうそう。
なんで5年に1回くらいしかヘコまないのかと言うと、
パクリ(書いてもーた)の度合いが強い依頼の場合、
額面通りに受け止めても自分が楽しくないので、
「じゃあもっと悪ノリしたれ!」
って開き直るんです。
そうすっとね、
キッツい内容の仕事でも
「あああ!楽しかったぁあああ!!!」
って思えるんです(笑。
なんかヤケクソみたいですね。
いやいや、真面目な話。
CM仕事の場合は要するに広告の一部ですから、
テレビ見た人に楽しんでもらったりクライアントさんに喜んでもらう事が第一だと思ってます。
音楽作るためにCMがあるんじゃなくて、
宣伝・広告の一要素として音楽が使われてるという事ですからね。
何ヶ月もかけてリサーチや企画会議を重ねて、
プレゼン勝ち抜いてようやくオンエアな訳です。
スポンサーさんも莫大な広告費を捻出して勝負してるハズ。
(あれ・・・僕のギャラ・・・/涙)
ですのでパクリと言わずあくまで究極のパロディである、
と捉えているんですけど、
たま〜に後ろ向きなオーダーも実際ありましてね、
「流行っているCMを真似たCM」
みたいな案件の時、
泣きそうになります(笑。
・・・いいんだろうか、こんな事書いて?
あのね、
ちょっと前に美術館に行った時スゲーなと思ったんですが、
現代美術家ってものすご堂々と他人の作品をパクるんです。
「○○の○○へのオマージュ」
みたいなタイトル付けて。
マルセルデュシャンの作品をジョンケージくらい著名な人が思いっきりイジっとるんですよ。
実際に見たらインパクトありました。
「うっほほ〜い、ホンマにやっとんねんなぁ」
みたいな感じ。
そういや日本人では森村泰昌とか模倣を通り越してるなぁ。
あの世界は垣根を超えて表現を共有する事に寛容なんでしょうね、きっと。
先人が蒔いた種を開花させましたみたいな清々しい作品を見た時は、
単純に一個のアート作品として鑑賞される使命を果たすに留まらず、
未来に続く潮流のようなものを感じ取って感動したりもしました。
逆に中途半端な解釈で模倣してる人の作品も展示されてましたけどね。
おぉ、ちょっと見えてきたぞ。
やっぱりパクリ行為が容認されてる社会って、
どこかで甘えみたいなモンがあると思います。
だって予定調和でないと通用せんもん。
かくかくしかじかといわくつきでオタワムレ。
だからね、
「パクッてます!」
「パクリました!」
って堂々と宣言すべきですよね。
それなら許せる。
なんとなく。
色々調べてたら模写についてこんな記事を見つけました。
模倣そのものは表現の向上にもつながる前向きな行為なのでしょう。
どんなミュージシャンも他人のカッコいいソロとかコード進行を耳にしたら
「あっ、クソ!」
って思って一度は自分で試してみたりするし。
けれども随分と贔屓目に見ても、模倣は修練の一過程に過ぎないと言えるのではなかろーか。
表現の最終形態にはなり得ないよ、とね。
最後に。
パクリ云々、
是非を問うならば非だと思います。
人の作品を「僕がやりましてん」て吹聴したりした日にゃ、
ペナルティも喰らいますし
「アイツやりおった」
って回りから意地悪もされます。
(そんなんじゃ済まへんか。盗作はダメダメよ!)
この稼業にわりと身近について回る問題でして、
よい機会なので考察を述べてみました。
また違う観点からも考えてみたいと思います。
いつかパクられる側にならなアカンなと心するアサでした。
・・・ブハァッ!
奈落の底に落ち込んで溺れ死ぬ所でした・・・。
口がパクパク。
ガンバロ。
ワイが知ってるアサくんとは ちょいズレかな?
知的&ウィット おみそれしました。
では 近日中の再会を楽しみにしてマ。